ハンドメイドネット販売あれこれブログ

ハンドメイドアクセサリー・ネット販売1年生の “いまさら” 奮闘記

続・デザイナーの夢

 

 子供の頃の夢はデザイナーだった。

 

 

服飾大学に入学した私は昼も夜も布と格闘した。

そう、本当に文字通り昼も夜もだ。

学校の名称こそ大学だったが中身は専門学校さながらの過密カリキュラムで、浮かれた女子大生のきゃぴきゃぴキャンパスライフなんてものとは縁遠い世界だった。

課題、課題、また課題だ。

学生の中に講義時間だけで課せられた服を縫い上げられる者はいなかった。

そうなると当然できなかった分を家で仕上げることになるのだが、持ち帰るのがまた一苦労で、縫い途中の服、裁縫道具、教科書、ひどい時はスタン(トルソーのことだが、うちの学校ではそう呼んでいた)まで持って帰った。あまりに過酷な重さなので一度計ったことがある。20キロあった。

夏休みも例外ではなかった。

山のような宿題が出され、中でもデザイン画を100枚以上描いて来いというのには辟易した。無いアイデアを絞り尽くすとしまいにはとんでもないデザイン画になる。

美川憲一小林幸子しか着こなせないだろ!と突っ込みたくなるような意味不明なド派手な衣装やら、武田久美子の貝殻ブラだろそれ!というような提出すればするほど点が下がりそうな絵だ。そんなものを新学期に皆で見せ合って爆笑するのだ。

大学生になってまで毎日宿題に追われるとは思ってもみなかったが、そこに4年間通い、綿ブロードから毛皮まであらゆる素材の縫い方から、平面作図、立体裁断、ドレーピング、CAD、デザイン、服飾に関することなら布だけではなく、手編み、機械編みの講義まであった。

 

入学した時から将来はアパレル関係の職に就くという明確な目標はあったが、子供の頃に夢見たデザイナーにはこだわっていなかった。

ドレーピングもパターンも縫製も性に合っていたし、デザイナーでもパタンナーでも、ものを作れる仕事であればそれで良かった。

 

そう思っていたのに、いざ就職活動シーズンが近づくとやはりデザイナーを志望した。

理由は単純、カッコいいからだ。

 

それともう一つ、❝手に職❞ 系の学校は学費が高い。

正確には学費だけではない。入学早々から、専門書、職業用ミシン、ロックミシン、スタン、まんじゅう、細々した道具類・・・数え上げたらきりがない! それに加え課題ごとに材料費が掛かる。

それだけのお金を「かわいい娘の為に」と両親は惜しみなく出してくれているのだ。

自分がなれる一番上を目指さなくてどうする。そう思ったのだ。

もちろんパタンナーだって立派な専門職なのは分かっている。

だが、デザイナーは同時にパタンナーの技術を持っている必要があることから、デザイナーになる方が難しかったのだ。

それに「うちの娘はデザイナーです」って言ったら「なんか分かんないけど凄そう」となりそうだが、「うちの娘はパタンナーです」と言ったら多分「パタンナーってどんな仕事?」と聞かれ説明が必要だろう。

(誤解のないように、当時、私が入社しようとしていたアパレルメーカーはどうしてもデザイナーの地位が高かった。募集人数も一番少ない難関だった)

 

そんな訳で、当時好きだった国内ブランドを有するアパレル企業一社に絞り、デザイナー採用試験を受けた。

 私は溢れんばかりのデザインセンスと才能を持ち合わせた人間ではなかったが、オジサン受けがいい ❝しっかりしていそうな性格❞ と、自分を売り込む ❝プレゼンの力❞ を武器に試験をパスしてデザイナーになった。何より運が良かったと思っている。

 

 

果たして念願のデザイナーになれた訳だが、華やかそうなイメージとは裏腹に、それはそれは過酷な職場だった。

あんなにキツいと思っていた学生時代が天国のように思えた。何でもそうだが、お金を稼ぐのは大変なことだ。

夜の9時から会議なんてこともザラだったし、土曜日も出勤だった。残業代は出たが、基本給は安かった。今だったらブラック企業!と訴えられそうだ。でもアパレル業界のメーカーはどこもそんなものだった。

 

どんなブランドだったかと言うと、CanCam や Ray などに載るようなおねえちゃん系の服だ。フジテレビの若い女子アナがめざましテレビで着るスーツを貸し出したりもしていた。20年前の話だが・・・。

同期入社は一人もいなかったが、先輩や上司は若い人が多く活気があった。

社内には3つのブランドがあり、それぞれにチーフデザイナーがいてが全員男性だったが、もれなく皆オネエ系なのが如何にも過ぎて笑えた。ストレートで既婚者なのに、婦人服を作る男性は物腰が柔らかくなるものなのだろうか?

 

 

時代はバブルがはじけて数年後、いよいよ本格的な不況に突入しようかという頃だった。

当時のユニクロなどファストファッションが幅を利かせるようになり、うちのような会社の多くは業績不審に陥りブランドイメージなどの方向転換を余儀なくされた。

 

厳しい時代だった。

入社して4年後、その煽りを受けてチーフや先輩デザイナーの大半と共に会社を辞めた。

(現在、その会社は有名海外アパレル企業に買収され、私が所属していたブランドごと跡形なく消滅してしまったと聞いている) 

 

退社後、他の企業でデザイナーを続けるか迷った。

なぜなら、私は服が作りたかったのだ。

デザインすることはもちろん服作りの大事な工程だ。でもそれと同じくらい、いや、それ以上にパターンの良し悪しが服の出来栄えを左右する。どんなにいいデザインをしても形にできなければ意味がないからだ。

企業で一着服を作るまでの工程は分業制だった。

私たちデザイナーがデザインする。それだって好き勝手ではない。企画会議を何度も経てデザインを決め、素材を決め、そしてそれをパタンナーに形にしてもらうのだ。サンプルが出来ると担当デザイナーがチェックして修正を加え、サンプル工場で実際の生地で試作する。

大まかにはこんな感じだが、自分が担当したデザインの服が店頭に並んでも、街でその服を来た人を見かけても、 ❞自分で作った服❞ という感覚は薄かった。

ではパタンナーになっていたらどうだろう。作った感はあるかもしれないが、こちらはこちらで、デザイナーから来た指示通りに形にしたまでで、いくら重要工程でもやっぱり裏方だと思ってしまっただろう。

 

じゃあ、自分でブランドを立ち上げればいいじゃん!

そんな力がある人なんて、ほんとにほんとに一握りだ。

学校出たって、会社で少々経験積んだって、この業界で一人立ちして稼ぐなんて本当に才能を持った人でも難しかったのだ。

「自分の作った服を売る」ということは物凄く大変で、敷居が高かったのだ。

 

贅沢な話だが、私はアパレル企業のデザイナー職に魅力を感じなくなっていた。もっと、何かを作り出している実感が欲しかった。パタンナーも同じだ。やっぱり人に言われたものを形にするだけで面白みに欠ける。

そのまま同じようにアパレル業界で仕事をすることに疲れてたし、過酷な業務で20代半ばだというのに胃潰瘍になったのも要因だ。

まあ、色々言い訳してみたが、要するに負け犬だ。

 

 

その後何を思ったか、ジュエリー工房で職人修行をするといった、また凝りもせず全く違う業界に飛び込んだのだが・・・。

職人を絵に書いたようなおっちゃん達に混ざって真っ黒になりながら黙々と作業し、ひたすら腕を磨く毎日を送った。

 

  ・・・長くなったので、その時の話はまた書きたくなったら書こう。

 

 

結局何が言いたかったのかも次に書きます。

長々とつまらない話を読んで下さった方、ありがとうございます。お疲れさまでした。

 

 

こんな自己満話しを、もったいなくも楽しみだと言ってご自身のブログでご紹介までしてくださった、 大沢卓也 (id:Handicraft_man)  さん。

ありがとうございます。恐縮です(/ω\)

制作、頑張ってくださいね! 影ながら応援しております (*^-^*)

 

 

デザイナーの夢

 

 子供の頃の夢はデザイナーだった。

 

なぜこんな昔話を書こうと思ったかは、今のハンドメイドブームは、私のような ❝ものを作りたい人間❞ にとって、とても恵まれていてありがたい環境なんだよ。という話がしたくて、その理由を書いているうちに連動して昔の事を書きたくなったからだ。

 

大部分がなくてもいい話かもしれないが、これも自己満足の世界。

恐縮ですが、お付き合い下さると嬉しいです。

 

 

 子供の頃の夢はデザイナーだった。

 

私の子供の頃は、わざわざ「洋服の」と言わなくてもデザイナーと言えば洋服のデザイナーだと皆が勝手に認識してくれたように思う。

その通り、私の夢は洋服のデザイナーだった。

 

思い出してみれば自分は、テレビや漫画より部屋に籠もってコツコツと何かしらを作っている方が好きな変わった子供だったと思う。

作るといっても、紙粘土のブローチやビーズで編んだ指輪やボール紙に和紙を張った小箱といった、大人から見たらオモチャのようなもので、当の本人だって暫く時間が経てばその拙い品々を使うことがなくなるようなシロモノだ。

 

でもその中に、周りの大人たち皆が驚き褒めてくれたものがあった。

布で作った小物だった。

初めは手縫いで、自分用のバックやぬいぐるみの服だったと思う。それを見た母が私にミシンを買ってくれた。それからはもっぱら布で何かを作ることに熱中した。

母は自他共に認める不器用な人間だった。だから、私がミシンを使いこなし、教えられてもいないのに次々と色んなものを作れるようになるのが不思議で仕方ないと言っていた。もちろん学校で使う袋ものや、ゼッケン付けなど縫物の類は全て自分でこなした。

 

今思えば、うちは共働きで母は学校の先生をしていてとても忙しかったから、少しでも自分のことは自分でやってくれれば助かるという思惑があってのおだてだったのかもしれない。

「お母さん、それなら縫いものじゃなくて料理を仕込んだ方がもっと役に立ったかもしれないね。」と今の私ならツッこんでいただろう。

 

小学校の高学年になるころには、自分で着る服を縫えるようになっていた。とは言っても、小学生が自分で着るに堪えるレベルで人様に着させられる程ではない。

まだパターンは引けなかった。持っていた既製品のブラウスから型紙をおおよそで取り、縫い目を観察し、襟やカフスなどの複雑な部分は少しほどいてみて、どう重なっているのかを研究した。子供には、というより私には作り方の本を見て覚えるよりその方が理解できたように思う。

当然だが、縫われたままの既製品から型紙を取ると、どうしても布目を追うことができず、正確なパターンは取れない。それでも、シャツカラーの台襟と襟の縫い合わさる部分が反対のカーブを描くことや、袖ぐりと袖山のカーブの関係など、どうしてそうなるかは分からなくとも不思議と大まかなことを手で作ることで覚えた。

何着か作ると応用もできるようになり、身幅を変えてみたり、スカートのボリュームやベルトの太さを変えてみたりしていた。ああ、今思い出したけど、当時はサーキュラースカートが好きだったなあ。

 

でもどうしてそんなに洋裁にのめり込んだかと言えば、やはり作った服を着て見せると、周りの人間が大人も子供ももれなく褒めてくれたからだ。

作ること自体が好きだった私は、正直、洋裁でなくても良かったのだ。

❝服❞ は誰でも着るのものなので分かりやすい。紙粘土のブローチもビーズの指輪も見る人によっては無用でくだらないものかもしれなくても、服は皆が着る。それを作り出せることに皆が感心してくれた。

 

それに気を良くした私はどんどん服を縫い、自作のブラウスとスカートを着て卒業式に出席し、卒業文集に『将来の夢はデザイナー』と書きしるした。

 

中学・高校になると、そりゃ小学生のように暇ではなくなる。勉強も部活もある。服を作る時間もなかったが、何より子供が独学で覚えた洋裁の腕で作れるものには限界がある。本格的にオシャレを覚える年頃に自作の服は役不足だった。

でも手作りが好きなことに変わりはなかった。このころは服を縫うより手軽にできた編み物の方が私の手作り熱を満たしていたように思う。編み物は空いた時間にすぐ取り掛かれて、途中で休ませておけるところが中高生の生活に合っていた。

 

だけど、成長してもどうしてその手作り熱が料理にだけは向かわなかったのか自分でも謎だ。

「料理は失敗しても食べれば消えてしまうので、なかったことにできる。」というのを聞いたことがあるが、私は「じゃあ逆に、成功しても残しておけないではないか。」と思った。

そして私は今でも料理は苦手だ。なんとか人並みにはこなすが好きではない。

おいしいものは普通に好きだけど、自分で作らなくてはならないならば適当なものでいいと思ってしまう。きっとあまり ❝食❞ にこだわりがないからだろう。こだわらないから追求しない。だから上達しようという向上心がないのだ。

夫に言わせれば、服が作れるよりも料理が得意な方がありがたいらしい。

全くもって、ごもっともな意見だ。(笑)

 

 

高校も半ばになると、子供の頃から母に言われ続けていたことを考え始めた。

「あんたも手に職をつけなさい。」

学校の先生という立派に手に職をつけた母は、女であっても、それが何より武器になると知っていたのだろう。

だけど、不器用な母のことだから ❝手に職❞ とは何らかの資格のことで、先生とか薬剤師とかそういうイメージだったと思う。

 

自分なりに ❝手に職❞ について考えたけど、私にとってそれはやっぱり ❝ものを作る仕事❞ だと思った。

そして、何になりたいのか分からないまま普通の大学を出て、何かの資格を取って普通の社会人になる道より、ものを作る仕事に就ける可能性が増えるだろう道を選んだ。

 

子供のころから得意だった洋裁を独学ではなく基礎からきちんと学ぶべく、服飾大学に入学した。

 

  (つづく)

 

・・・こんな話が、つづくんかいっ!  はい。すいません。(/ω\)

 

ターゲットとショップの統一感

 

この前から、あるハンドメイド販売のやり方に関して少し批判的な記事(いつもそんなんばっかだろ)ばかり書いてる気がします。

 

いえね・・・、これから販売を始めてみたい方、どんどんやってみてください!

なんたって、出品するのはタダです! ありがたいことに環境は整ってますよ。 とりあえず出品してみる。でも全然いいと思いますよ。

 

私が言いたかったのは、作品を作る上で『なんでもいいから作って売っちゃえ!』『◯◯ができちゃったよ!これであなたも作家デビュー!』というあまりに軽い風潮にモヤっとしただけで、あれもテレビ的にだったかもしれませんが、サイトに出品している作家たちが皆あの程度だと思われることが忍びなかったのもあります。

皆もっと苦労して、試行錯誤して、腕を磨いて、なにより手作り大好きな人達だと思います。違うかな?

たとえ、実はあんまり好きじゃないけどなんとなくやってる。って人がいたとしても、それってやっぱり好きなんじゃない?

だって、たぶん他の事した方が効率よくお金稼げますよ。なのにこんな手の掛かる根気のいることやれてるんだから、嫌いじゃできないよ。

そりゃハンドメイド販売をしている人間が皆が皆そうじゃないとは思うけど、私はやっぱりもの作りを愛している人達が好きです!

 

 

・・・ということで、

今日もコツコツ、ハンドメイド作品制作に励んでいる皆さん、こんばんは。

ハンドメイドネット販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。

 

 

皆さん、今もコツコツと作っておられるその作品、 どんな人に買って欲しいとかって考えてます?

今日は、作品を構想・制作する上でターゲットって意識してますか? ってお話です。

 

ターゲットって、例えば・・・

 25~40代女性 主婦 かわいいモノ好き

 20~30代男性 社会人独身 独り暮らし アウトドア系

 

こんな感じかしら。

このイメージに合った人に向けて作ったり、もしくは出来上がった作品を買ってくれるのはどんな人かイメージしたりですね。

 

実は私、作品をデザインする際にこれらを殆ど意識していません。

意識していないというより、自分が身に着けたいと思うものを作っているので、強いて言えばターゲットは自分?

カテゴリーにもよると思いますが、ファッション系ジャンルには私と同じような作品構想をする人が多いかもしれませんね。

 

作品のイメージもシンプルなものからデコラティブなものまで色々作ります。

かわいい感じものものもあれば、モードな感じのものもあります。

それは、もし私がカワイイもの好きだったとしても、持っているものはカワイイものばかりとは限らないというのと同じで、いろいろバリエーションがあるからです。

こう聞くと、ショップの統一感ゼロじゃん! と思いますよね。

 

でも、不思議と一人の人間が考えたものはそれだけで統一感ってあるものです。

逆に、全く共通点なく別人が作ったようにする方が難しいと思います。

 

確かに、売れてるショップさんで素材から雰囲気まで統一感が素晴らしく、洗練された素敵な構成の作家さんがいらっしゃいます。

でもね、ああなるには世界観がはっきりしていて尚且つそれが人を引き付ける魅力に溢れた作品で、さらに魅せ方のセンスもいります。最初から簡単に出来るものではない気がします。

 

だからターゲットとか統一感とか、あまり捕らわれなくてもいいと思っています。そこばかり考えすぎて発想が狭くなるより、自分がいいと思うものを色々作ってみる方がいいように思います。

出来上がった作品を上手に販売するためには、どんな人が買ってくれるか想像して価格設定や販売経路を模索するのは重要だと思います。

 

販路によってまた違ってくると思いますが、私の販路であるネット販売サイトで思う事は、ショップページの並び順を工夫すればいろんなデザインのものがあってもそんなにゴチャゴチャには見えないと思います。

 

イベントや実店舗への委託の場合は、そのショップを覗けば作品を一望できます。そのブースで統一感のある雰囲気を醸し出すのはきっと重要でしょう。

お店全体の雰囲気に誘われ、その中から気に入ったものを見つけて買う。という流れが多いでしょうか。第一印象はお店全体。

 

販売サイトだと少し違う気がします。

新規のお客様はいきなりショップページへ来るというより、ある一つの作品を気に入りショップページにも来るとう流れがほとんどだと思います。その作品さえ気に入ってくれていれば他の作品が好みでなくても買ってくれます。ショップページに来た時にはすでに欲しいものが決まっていることが多い。第一印象は一つの作品。

 

 

で、良し悪しの判断はお任せしますが、いろんなテイストのものがあるといろんな好みの方がショップを見に来ます。

 

私のショップで今までに買ってくれたお客様の年齢は、

13歳~81歳です。(なぜか自己申告してくれた人だけでね)

おおー、我ながらもの凄く幅広い。 ほんと良いか悪いかよく分からんね。

ちなみに、どちらも注文してきたのはご本人ではなかった。13歳のお嬢さんにねだられたというお母さまと、81歳のお母さまにプレゼントしたいという娘さんからの注文でした。

これは例外的な方々だと思うけど、私のショップは(意識してないけど)ターゲット層が広い方だと思います。違うな~。意識してないから広いんだろうな。

ド定番のものが多いからかな? 幅広い年齢層の人でも使えるってことになるけど、悪く言えば個性がないということになるな。・・・と自己分析でした。

 

 

販売サイトで自分のショップが統一感がないから売れないと思っている方、

そこが本当の問題点かしら?

 

『ハンドメイド作家』になるまでのプロセス間違ってない?

 

こんにちは。

ハンドメイドネット販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。

 

 

昼間、

今朝の『スッキリ!!』ノッチ嫁、ミンネで販売に挑戦。完結編見ましたか? 

の記事を書いてから改めて思ったことがあります。

 

前の記事にも書きましたが、今までのマスコミ露出があまりにも楽に儲かるという印象のものが多かっただけに、今日の放送は制作の苦労や、簡単には売れない現実を見せていたから良かったんじゃない。って思いましたが、よくよく考えたら今までより良かっただけで、やっぱりちょっとツッコミたくなりました。

 

『皆が皆、そう簡単に稼げない』『少し高くても手間かけて作ってるので当然です』

をアピールしたかったのは分かりました。

 

でも、肝心の作品についてはやっぱり疑問です。

あの作品が悪いと言いたのではなく、まったくの初心者が初めて作った作品を2000円とは言え、原価の10倍近く出して買いますか?

それとも、レジンって作り慣れた人でも初めての人でも、出来栄えに差は出ないものですか? 簡単なの? レジン使ったことない・・・。

 

 

『ハンドメイド作家』と呼ばれている人たちの大半は販売を始めた頃、売る事については初心者でも、作ることについては初心者ではなかったはず。

最近参入してくる人は違うのでしょうか? 

 

そういう私だって販売歴もうすぐ1年・まだまだひよっ子の新参者です。

でもそれは販売に関してです。ものを作ることは子供の頃から親しんできた人生を通しての趣味です。

いろんなものを手作りしてきたし、仕事にもしてきました。当然手先は器用です。でも全く作ったことのないジャンルのものをいきなり売ろうとは絶対考えません。そんな度胸ありません!

 

 

プロセス間違ってませんか?

 

ハンドメイド大好きで、それまで培ってきた作るスキルを持った人たちが

自分の作ったものが売れる場があるらしい → 販売を始め、作家と呼ばれる → 売れた

販売を始めれば、さらに腕を磨いたり、売れるために作品の研究をしたり、新しい素材を取り入れたりはします。でも基本のスキルは持っているのです。

ハンドメイドをやっていたので販売を始めてみた。結果『ハンドメイド作家』になった。というイメージ。だから自分が『作家』と呼ばれることに違和感を感じる人が多い。

この人種の場合、この先ハンドメイド販売ブームに終わりがきて、その時にたとえ販売することは辞めても、作ることは辞めないでしょう。四六時中作り続けるわけではありませんが、ものを作ることと一生関わって行くのではないでしょうか?

 

それに比べて、今日の番組のケースは、

ハンドメイド作家を目指す → 売れそうなものを作る(初めて作り方を覚える) → 売れた?

『ハンドメイド作家』になるためにハンドメイドを始める。というイメージと言えばいいでしょうか。

 

これを、絶対ダメだろ!とか、初心者お断り!とか言いませんが、逆に聞きたい。

『さっき初めて作った作品、自分なら買いたいですか?』

キツいこと言いますと、出品するのも値段を付けるもその人の自由ですが、拙い作品が溢れるとサイトの質が落ちて行くのです。

 

もちろん、ハンドメイドに興味を持って何かを作ってみたいと思う気持ちは素敵です!

是非、作りたいものを存分に作ってみてください。楽しいです!!

でも、それで安易に儲けようなどと欲をかいてはいけません。

まずは作ったものをしばらく自分で使ってみてください。強度とか修正点とかが分かります。周りの人間に意見を聞くのもいいかもしれないですね。それから冷静になって自分の作品の価値を見極めてください。

 

 

そしてもし、販売を始めたはいいが売れないからと言って怪しいコンサルなどに引っかからないでくださいね。

『コンサル料5000円だからそれで売れるようになれば安いもんだ』そんなに甘くないです。

どんなコンサルでも受さえすれば売れるなんて、コンサルの宣伝文句に過ぎません。

最近は悪質なものも増えているらしいですよ。5000円じゃ済まなくなるかもです!

 

 

なんだろ。詐欺防止キャンペーンみたいな終わり方になったぞ・・・。

 

 

ノッチ嫁、ミンネで販売に挑戦。完結編見ましたか?

 

こんにちは。

ハンドメイドネット販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。

 

 

みなさん、今朝『スッキリ!!』ご覧になったかしら?

先週の続きでハンドメイド関連のコーナーやってましたね。

内容は、お笑い芸人のノッチ夫婦(主に嫁)がミンネで販売に挑戦。一カ月でどのくらい稼げるかの完結編というコーナーでした。

 

先週の放送では、ミンネにも出品されている「みどりさん」を先生に迎え、初心者のノッチ嫁さんがアクセサリーを販売すべくデザインや仕入れをして、先生に作り方の手ほどきを受けるというところまででした。

今日の放送では、目標の20個を完成させいよいよ出品。いくつ売れたかという流れ。

 

全体的な放送の印象は、販売サイトの実体験としてほとんど脚色せずに正確に事実だけを伝えようとしていた感じでした。儲かるともとも言ってなかったです。

 

一カ月でいくら稼げるかがテーマなので、その辺の詳しい数字も出していました。

材料費が全部で1万3000円くらいで、完売した場合の売り上げ額からミンネへの手数料など引いて、利益は約3万円という見込み計算でしたね。

で、この計算はおかしくはないんですが一つ詳しく言ってなかったのが、仕入れ・制作・出品・発送など、作品がお金になるまでに費やした時間がどのくらいのだったのかということです。

アクセサリーを20個作るのに10日ほど掛かっていたようですが、実働何時間かは分かりませんでした。完売した場合3万円の儲けになりますが、もし1日の制作時間が3時間だったとして時給1000円の計算になります。

放送を見た感じだと3時間どころではなさそうでした。もっと時間が掛かっていたと思います。・・・時給いくら? これが実態です。

そして忘れてはいけないのが完売した場合3万円稼げるのであって、売れなければ投資したお金も労力も無駄です。

 

ミンネでのノッチ嫁さんの作家名は『honey-4649』

結果、一カ月の販売成果は完売。 今朝の放送後、残っていた2点も売れたようですね。

今日の放送でも言っていましたが、先週の放送前までに売れたのは1点のみ。最初から売れるのは難しいですが、これが現実なんです。

先週の放送があった後で売れたようですよ。作家名公表してなかったのにね。(調べれば大抵分かるけど)

分かりますか? 完売できたのはやっぱりテレビだからですよ。この辺をきちんと放送で言っていたのは好感が持てました。

今日も放送中はミンネに繋がりにくかったようです。

あと、ゲスい勘ぐりですが、買った方は関係者(サクラ)ってことはないですかね? 私はミンネに出品したことがないので分かりませんが、ミンネってレビュー書いてくださるお客さんって少ないそうですね。ノッチ嫁さんにはレビューがいっぱい。別にサクラでも構いませんが。

 

結局一般人が自分だけの力で販売を軌道に乗せて持続していくのはとても大変だということですね。

 

その他で思ったのは、

価格設定のしかたの説明の時、先生である「みどりさん」の作品について原価まではっきり言っちゃってたのは少し驚きました。

スマホケースですが、原価1000円くらいが販売価格4000円だそう。

きっと「みどりさん」は

『3000円の手間賃が高いと思うなら、どうぞご自分で作ってごらんあそばせ~。スマホケースなんて作ったことない人が、一つだけ作ろうと思って材料集めから全部やったらどれだけの時間や手間がかかると思っていらっしゃるの? そして自分で作ったとして果たして綺麗に作れるのかしら~ オ~ホホホ~。私が勝手に推測したみどりさんの心の声。

きっと、これが適正価格よ!という自信があるので発表しても問題ないと思ったのでしょう。

お気持ち分かります。

 

そして、ミンネの思惑は、

ミンネ作品は安価なものばかりが増えて、安っぽいサイトと思われる傾向を改善したかったんでしょう。

以前『ミンネ(ハンドメイド)は安い』というイメージを植え付けるような発信をサイト自らがして作家たちからの批判で炎上してたのに、売れっ子作家さんの作品はそれなりの手間賃がかかります。多少高く感じてもそれが適正価格なんですよ。という方向に持っていきたかったんでしょう。ノッチ嫁さんが苦労して時間をかけて作品を作り上げる様子を放送したのもそのあたりの思惑では・・・? 作るの大変だよ。ってね。

今後、ノッチ嫁さんは自分の力で販売を続けるようなことを言っていましたが、『ホントか?!』と思ってしまいました。絶対やらなさそうだよね。

 

気になったこと一つ思い出しました。

ノッチ嫁さんが制作で丸カンを扱うのに使っていたラジオペンチですが、ギザギザの溝が入っていました。あれねー、掴みやすいかもしれないんだけど金属に傷が付くのよね。慣れない人だと出来上がった時丸カン傷だらけになります。でも、真鍮製の安価なパーツだから気にしないのかな?

ちなみに私はギザギザの入ったペンチは使いません。それでも傷は付くので、乾くと薄いゴムの膜を作れるツールでペンチの先をコーティングしています。 ・・・かなり専門的な話でした。

 

そんなわけで、『販売サイトで儲ける為にはそれなりに苦労があるよ~』という趣旨で、今までの極端な放送内容よりは良かったんじゃないですか? 特に驚くような内容ではなかったです。

でもね、サラっとやってましたが、何を売るのかが本当は一番重要ですよ。

今回、ノッチ嫁さんには「みどりさん」が全部教えていましたが、もし販売を始めるなら、その一番重要なところから自分で考えるんですよ!

 

 

 

先週、この

『スッキリ!!』でハンドメイド関連のコーナーやってました。

の記事を書いてから、ブログのPVが凄いです。

凄いったって、今まで一日平均300PV、多くても600PVだったのが、1200PVになった程度ですが。

それが一週間経っても衰えず、今日の放送中には1時間で1500PV、今日ここま2500PVです。

 

私はPVが上がったからと言って一銭の得もしませんが、驚いたのは興味がある人はまだまだたくさんいるんだな。ということです。

でも、興味があって検索してるのは現役の作家さんですかね?

それとも、これから始めたいという人も中にはたくさんいるのでしょうか?

 

いずれにしても、今のところはまだハンドメイド販売サイト関連は元気があるということでしょうか?

なんでもかんでも『ハンドメイド』とか『作家』とか、ひと括りにするから逆に混乱する。

 

こんにちは。

販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。

 

最近また『ハンドメイド』とか『作家』が表す意味について考えています。

そもそも『ハンドメイド』って人の手で作ったものという意味でいいんですよね。

ということは、そのまま言葉の意味を正確に表すなら、

陶器、ガラス、彫金など熟練職人さんが技術、工具・設備を駆使して作った品から、極端に言えば小学生が家庭科の授業で作ってきたエプロンもハンドメイドと言えるんでしょう。ことばの意味合いが物凄く幅広いのです。

手芸大好き主婦が服やアクセサリーを作ったらそれも手作りだし、たとえ本に付いていたパターンをそのまま使おうが、キットを買ってきて作ろうが、出来上がったものは『ハンドメイド』です。

もし『ハンドメイド』を個人で楽しむ分にはこれで何の問題もないと思います。

 

でも『販売する為に作ったハンドメイドの品』(結果的にでも公の場で対価を得て人に売る)となると定義が違ってきてしまうと思うんですよ。

自分の手で作ったと言うだけではダメで、それを作る為にデザイン(構成)しなくてはいけません。ルールだってあります。布物なら使ってはいけない布もあるし、書籍や人の考えたレシピで作ることは基本的にはタブーとされています。

このように、作る技術と共にデザイン(構成)する力が必要とされるので、『ハンドメイド作家』と呼ぶんでしょうね。

 

で、これまたこの『デザイン』の意味合いも幅広い。

例えば、陶芸作家の個性的な色・形や模様などもデザインならば、その辺で買ってきたパーツを繋いだだけのアクセサリーでもデザインしたと言えなくもない。(らしいよ・・・)

同じ『デザイン』すると言ってもレベルが違い過ぎるのです。

 

たとえ技術もデザイン力も低くても、自分の手で自分で考えたものを作れば『作家』と呼ぶしかない。気に入らなくても今のところ他に表す言葉がないからです。

 そして、作る技術のレベルもデザインのレベルもこれだけ違うのに、全部一括りにして『ハンドメイド作品』と呼ばれる。

 

・・・何でこんなに違和感を感じるのか?

 『ハンドメイド』も『作家』も元々使われていた言葉で、特に『作家』といえば普通は芸術家とか小説家、ハンドメイドの世界でも陶芸家やガラス作家など芸術性が感じられる作品を生み出す人のことではなかっただろうか。

 

それをなんだかカッコいい憧れの響きだから、ハンドメイドの世界で作り手を(レベルに関わらず)作家と呼ぶのが普通になったのでしょう。

関わる人間が少ない世界ならば、多少おかしくても許された(誰も気にしない)かもしれないけど、ここ何年かで急激に拡大してメディアにも露出してくると、ハンドメイドの作り手が猫も杓子も『作家』と名乗ったり呼ばれたりすることに嘲笑してしまう人も少なくないのでは? ハンドメイドとは全く関係ない人間が『ハンドメイド作家』と聞いたらどんなイメージを持つんだろう?

 

流行りものには新たに独自の呼び名が出来たりして、その呼び名とともに巷に浸透していくパターンがあるけれど、『ハンドメイド作家』は違和感を覚える人が多いにも関わらず、他にぴったりくる言葉が生まれる前に広まってしまったのだろう。

 

 私もこのブログを書く上で自分を『作家』と書いているし、殆どの人がそうだと思う。でも、本当は違和感を持っています。もし人に自分がやっていることを説明するとして「私は作家です。」とはさすがに言わないと思う。ハンドメイドの話を書く上でいちいち他の言い方するのが面倒だし、他にいい言い方もないですしね。『作品』という言い方も同じ感じです。

 

こうなってくると面白くないのは本物の作家さん達だ。

私がもし本物の作家と言っても恥ずかしくない活動をしていたら、こんなブームによって増殖したなんちゃって作家(私もそうだ)がおかしくてたまらないだろう。

苦笑しながら眺めてれば済むくらいならまだいいけれど、同列にされたらたまったもんじゃない! ときっと思います。

 

 

これだけブームになった昨今の手作り品のC to Cビジネス。

『ハンドメイド作品』と一括りにされいてますが、 作品の質も作り手のレベルも、ピンからキリまででもう何が何やらですね。

 

その最たるものがネットの販売サイトではないでしょうか?

何百万という膨大な数の『作品』たちがひとっ所に売られているのだから、そりゃなんでもアリなカオスになって当然でしょう。

『ハンドメイド』も『作家』も表すものの定義が広すぎる!

 

C to C なのだからお互いが納得して取引できれば問題ないのかもしれない。

買う人にとっては満足するものが手に入れば関係ないのかもしれない。

 

 

そして・・・

こうまで混沌としてくると販売サイトだけに限らず、ハンドメイド販売をしている者同士が自分たちを何とか分類しようとする。

いや、元々は質の違う者だったのに、一緒くたになってしまったのだ。

本当は違う山が幾つもあるはずなのに、一つの山の裾野がとてつもなく広大になってしまったかのようだ。

 

作品を作る技量なのか、金儲けの素質なのか、何を基準に構成されているのかも良く分からなくなってしまったヒエラルキーの上部の作家たちが下の者たちを蔑むようになる。気にも留めていない涼しい顔をしていても内心では一緒にしてくれるなと思っている。ちゃんちゃらおかしいのだ。

底辺の者は販売なんてどうでもいいという顔をして、そこで何をしているかも分からない者もいる。

中間の者は身の程をわきまえつつも自分を上質に見せたくて必死だ。そして、やっぱり自分より下の者を心の中ではバカにする。

 

ほんとうは、違う山なのに。

 

こんなへんてこな山をいち早く降りた自称元作家や、てっ辺にいるつもりの勘違い売れっ子現役作家や、全く関係なく傍から眺めていただけのズル賢い輩が、中腹以下でもがく子羊ちゃんたちを「上手く登れる方法があるよ」とたぶらかす。どこを目指してるかも分かっていないのにそれに飛びつく子羊ちゃんたち。

それを見て心配したり気を揉む者たち。

金儲けが第一で、物作りを愛してもなさそうな者が子羊たちから巻き上げた金で潤うのを軽蔑の目で見る者たち。

被害者たちの恨み節まで聞こえる。

 

もう、ほんとカオスだ。

 

 

『ハンドメイド作家』たちの世界はこれからどうなってしまうのだろう。

 

それもこれも、 なんでもかんでも全部『ハンドメイド』だ『作家』だと一括りにするから携わる人間がイガミ合うんじゃないかしら?

もっと上手に棲み分けられる方法はないものだろうか・・・。

 

 

まあ、私もその へんてこ山の一部。

どの辺にいるのかよく分からなくなってきた。

ほんと、殺伐としてきて疲れてきたわ。

 

 

売り上げ額に騙されちゃダメですよ、奥さん!

 

こんにちは。

ハンドメイドネット販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。

 

 

少し前ですが、夫に

『ところで、儲かってんの?』 と尋問を受けました。

 

・・・

・・・

・・・ ・・・ (一_一)  何をもって儲かってるかと言っていい分からず困惑するの図

 

いえいえ、本当は分かってますよ。

要するに、お金は増えたのか?ってことでしょ。

 

 

さて、お金は増えたんでしょうか?!

 

結論から言いますが、増えてません。 orz

なぜなら、何度も書きましたが仕入れ額がすごいから。

 

しかし、先日やっとのことでこの仕入れ額と同じ額を売り上げることができました!

 この意味分かりますか?

今まで仕入れに使った金額 = サイトから振り込まれた合計額

ということです。

 

ここで言う仕入れ額というのは、材料費の全て(梱包資材、発送費用、その他諸経費含む)まだ使っていない材料も含め、とにかく出て行ったお金です。 

サイトからの振込額というのは、売り上げ - サイト手数料。 入ってきたお金です。

 

 

よくテレビやネットで一カ月の売り上げ◯◯円っていうのを見ますね。

まあ、分かりやすいから(一番儲かってそうに聞こえる数字だから)そう表現するんでしょうが、実際いくら儲かっているのかはさっぱり分かりません。

騙されちゃダメですよ、奥さん!

 

売り上げ - (サイト手数料+材料費+諸経費) = 儲け でいいんじゃないの?

という考え方が普通かもしれませんが、それも甘いと思います。

 

その計算でいいのなら、私の儲けは月12~15万円です。

私のように仕入れ額が多く、材料の在庫を大量に抱えているアホな人はそういないとは思いますが、どんなカテゴリーの人でも材料費と言えば、その作品一つに限って作るのに使った材料の費用と考えませんか?

仕入れに失敗してできれば使いたくない材料とか、大口仕入れの方が安いからとたくさん買って余っているものとか、売れ残っている作品とか、試作に使った材料費、失敗して売り物にならなかったものの材料費なんてのもありますよね。

材料の在庫はいずれ使い切り、作品として売れる?

そうかもしれませんが、それは売れてから儲けがいくらだったか考えましょうよ。

今、何らかの事情で販売できなくなったらどうなります?

在庫の材料はお金に戻りません。

仕入れに使った金額の全てはハンドメイド販売を始めなければ使わなかったお金です。

 

私が受けた夫の尋問の核心はズバリこれです!

いくら売り上げようが問題はそこではないのです。

いくら売り上げようが出て行ったお金の方多かったら儲かったって言えないでしょ。いくら材料が手元にたくさんあってもダメです。

 

私が、月20万円売り上げてると聞くと

『へ~、まあまあ儲かるのね。』ってなりますよね。

『私も始めちゃおうかしら・・・』

騙されちゃダメですよ、奥さん!

だって、一年かかってやっと全ての仕入れ額分を回収しただけです。ここで辞めたら一年間タダ働きです。

こんなアホな奴もいるんです。売り上げ額だけでは分からないでしょ?

もし始めるなら、よく考えて計画的にね。

 

この考え方は少し乱暴で邪道かもしれないけど、お金が増えたのかって部分では間違ってないと思いますよ。

本やコンサル指南系ブログとかでも儲け(収入)についての計算や考え方はたくさん見ることができますが、是非もっと広く全体で考えてみてくださいね。

売り上げなんてあんまり参考にならないよ。分かりやすいから言ってるだけ。(あと、格好付くから。)

 

 

さて、夫の尋問になんとか耐えた私です・・・

『さ、最近、やっとプラスになりました・・・ 

消え入りそうな声で答え、その場から姿も消す・・・逃げた

 

でもね内心ホッとしてるんですよ。やっとここからです。

ここから一切材料を仕入れなかったとして手持ちの材料で賄って売っていければ、今後の売り上げは全て儲けです。(梱包資材の補充、諸経費もあるから、ここから一切の出費なしは実際不可能)

でもこれまでのタダ働き一年間の労力を考えたら、相当長いこと頑張らないと儲けたとは言えませんね。きびしい!

とにかく、今すぐ辞めるようなことになってもお金を減らさなくて良かったと胸を撫で下ろしています。

 

生活掛けて販売をされている方から見たら、確かに『バカなんじゃないの?』って言われそうな経営手腕ですが、ここが特に生活掛けてない主婦の甘さかもしれませんね。

経営的には今のところ儲かってないので失格ですが、作るものはきちんと責任を持って制作・販売してますよ。恥ずかしいものは売ってないつもり。

 

素材屋を儲けさせているだけ?の人間が偉そうに色々言いましたが、あるハンドメイド屋の実態として何かの参考にでもなれば幸いです。

 

さあ、こっから頑張ろう~。 ( `ー´)ノ

 

 

そう言えば・・・

いきなり!黄金伝説。」で篠原ともえさんがミンネでアクセサリー販売に挑戦するってコーナー、今週は放送されなかったからもうやんないのかと思ったら、今後続編も放送される予定はあるんですってさ。いつだかはまだ不明。