ハンドメイドネット販売あれこれブログ

ハンドメイドアクセサリー・ネット販売1年生の “いまさら” 奮闘記

デザイナーの夢

 

 子供の頃の夢はデザイナーだった。

 

なぜこんな昔話を書こうと思ったかは、今のハンドメイドブームは、私のような ❝ものを作りたい人間❞ にとって、とても恵まれていてありがたい環境なんだよ。という話がしたくて、その理由を書いているうちに連動して昔の事を書きたくなったからだ。

 

大部分がなくてもいい話かもしれないが、これも自己満足の世界。

恐縮ですが、お付き合い下さると嬉しいです。

 

 

 子供の頃の夢はデザイナーだった。

 

私の子供の頃は、わざわざ「洋服の」と言わなくてもデザイナーと言えば洋服のデザイナーだと皆が勝手に認識してくれたように思う。

その通り、私の夢は洋服のデザイナーだった。

 

思い出してみれば自分は、テレビや漫画より部屋に籠もってコツコツと何かしらを作っている方が好きな変わった子供だったと思う。

作るといっても、紙粘土のブローチやビーズで編んだ指輪やボール紙に和紙を張った小箱といった、大人から見たらオモチャのようなもので、当の本人だって暫く時間が経てばその拙い品々を使うことがなくなるようなシロモノだ。

 

でもその中に、周りの大人たち皆が驚き褒めてくれたものがあった。

布で作った小物だった。

初めは手縫いで、自分用のバックやぬいぐるみの服だったと思う。それを見た母が私にミシンを買ってくれた。それからはもっぱら布で何かを作ることに熱中した。

母は自他共に認める不器用な人間だった。だから、私がミシンを使いこなし、教えられてもいないのに次々と色んなものを作れるようになるのが不思議で仕方ないと言っていた。もちろん学校で使う袋ものや、ゼッケン付けなど縫物の類は全て自分でこなした。

 

今思えば、うちは共働きで母は学校の先生をしていてとても忙しかったから、少しでも自分のことは自分でやってくれれば助かるという思惑があってのおだてだったのかもしれない。

「お母さん、それなら縫いものじゃなくて料理を仕込んだ方がもっと役に立ったかもしれないね。」と今の私ならツッこんでいただろう。

 

小学校の高学年になるころには、自分で着る服を縫えるようになっていた。とは言っても、小学生が自分で着るに堪えるレベルで人様に着させられる程ではない。

まだパターンは引けなかった。持っていた既製品のブラウスから型紙をおおよそで取り、縫い目を観察し、襟やカフスなどの複雑な部分は少しほどいてみて、どう重なっているのかを研究した。子供には、というより私には作り方の本を見て覚えるよりその方が理解できたように思う。

当然だが、縫われたままの既製品から型紙を取ると、どうしても布目を追うことができず、正確なパターンは取れない。それでも、シャツカラーの台襟と襟の縫い合わさる部分が反対のカーブを描くことや、袖ぐりと袖山のカーブの関係など、どうしてそうなるかは分からなくとも不思議と大まかなことを手で作ることで覚えた。

何着か作ると応用もできるようになり、身幅を変えてみたり、スカートのボリュームやベルトの太さを変えてみたりしていた。ああ、今思い出したけど、当時はサーキュラースカートが好きだったなあ。

 

でもどうしてそんなに洋裁にのめり込んだかと言えば、やはり作った服を着て見せると、周りの人間が大人も子供ももれなく褒めてくれたからだ。

作ること自体が好きだった私は、正直、洋裁でなくても良かったのだ。

❝服❞ は誰でも着るのものなので分かりやすい。紙粘土のブローチもビーズの指輪も見る人によっては無用でくだらないものかもしれなくても、服は皆が着る。それを作り出せることに皆が感心してくれた。

 

それに気を良くした私はどんどん服を縫い、自作のブラウスとスカートを着て卒業式に出席し、卒業文集に『将来の夢はデザイナー』と書きしるした。

 

中学・高校になると、そりゃ小学生のように暇ではなくなる。勉強も部活もある。服を作る時間もなかったが、何より子供が独学で覚えた洋裁の腕で作れるものには限界がある。本格的にオシャレを覚える年頃に自作の服は役不足だった。

でも手作りが好きなことに変わりはなかった。このころは服を縫うより手軽にできた編み物の方が私の手作り熱を満たしていたように思う。編み物は空いた時間にすぐ取り掛かれて、途中で休ませておけるところが中高生の生活に合っていた。

 

だけど、成長してもどうしてその手作り熱が料理にだけは向かわなかったのか自分でも謎だ。

「料理は失敗しても食べれば消えてしまうので、なかったことにできる。」というのを聞いたことがあるが、私は「じゃあ逆に、成功しても残しておけないではないか。」と思った。

そして私は今でも料理は苦手だ。なんとか人並みにはこなすが好きではない。

おいしいものは普通に好きだけど、自分で作らなくてはならないならば適当なものでいいと思ってしまう。きっとあまり ❝食❞ にこだわりがないからだろう。こだわらないから追求しない。だから上達しようという向上心がないのだ。

夫に言わせれば、服が作れるよりも料理が得意な方がありがたいらしい。

全くもって、ごもっともな意見だ。(笑)

 

 

高校も半ばになると、子供の頃から母に言われ続けていたことを考え始めた。

「あんたも手に職をつけなさい。」

学校の先生という立派に手に職をつけた母は、女であっても、それが何より武器になると知っていたのだろう。

だけど、不器用な母のことだから ❝手に職❞ とは何らかの資格のことで、先生とか薬剤師とかそういうイメージだったと思う。

 

自分なりに ❝手に職❞ について考えたけど、私にとってそれはやっぱり ❝ものを作る仕事❞ だと思った。

そして、何になりたいのか分からないまま普通の大学を出て、何かの資格を取って普通の社会人になる道より、ものを作る仕事に就ける可能性が増えるだろう道を選んだ。

 

子供のころから得意だった洋裁を独学ではなく基礎からきちんと学ぶべく、服飾大学に入学した。

 

  (つづく)

 

・・・こんな話が、つづくんかいっ!  はい。すいません。(/ω\)