なんでもかんでも『ハンドメイド』とか『作家』とか、ひと括りにするから逆に混乱する。
こんにちは。
販売サイトでアクセサリーを売っています。ガーネットです。
最近また『ハンドメイド』とか『作家』が表す意味について考えています。
そもそも『ハンドメイド』って人の手で作ったものという意味でいいんですよね。
ということは、そのまま言葉の意味を正確に表すなら、
陶器、ガラス、彫金など熟練職人さんが技術、工具・設備を駆使して作った品から、極端に言えば小学生が家庭科の授業で作ってきたエプロンもハンドメイドと言えるんでしょう。ことばの意味合いが物凄く幅広いのです。
手芸大好き主婦が服やアクセサリーを作ったらそれも手作りだし、たとえ本に付いていたパターンをそのまま使おうが、キットを買ってきて作ろうが、出来上がったものは『ハンドメイド』です。
もし『ハンドメイド』を個人で楽しむ分にはこれで何の問題もないと思います。
でも『販売する為に作ったハンドメイドの品』(結果的にでも公の場で対価を得て人に売る)となると定義が違ってきてしまうと思うんですよ。
自分の手で作ったと言うだけではダメで、それを作る為にデザイン(構成)しなくてはいけません。ルールだってあります。布物なら使ってはいけない布もあるし、書籍や人の考えたレシピで作ることは基本的にはタブーとされています。
このように、作る技術と共にデザイン(構成)する力が必要とされるので、『ハンドメイド作家』と呼ぶんでしょうね。
で、これまたこの『デザイン』の意味合いも幅広い。
例えば、陶芸作家の個性的な色・形や模様などもデザインならば、その辺で買ってきたパーツを繋いだだけのアクセサリーでもデザインしたと言えなくもない。(らしいよ・・・)
同じ『デザイン』すると言ってもレベルが違い過ぎるのです。
たとえ技術もデザイン力も低くても、自分の手で自分で考えたものを作れば『作家』と呼ぶしかない。気に入らなくても今のところ他に表す言葉がないからです。
そして、作る技術のレベルもデザインのレベルもこれだけ違うのに、全部一括りにして『ハンドメイド作品』と呼ばれる。
・・・何でこんなに違和感を感じるのか?
『ハンドメイド』も『作家』も元々使われていた言葉で、特に『作家』といえば普通は芸術家とか小説家、ハンドメイドの世界でも陶芸家やガラス作家など芸術性が感じられる作品を生み出す人のことではなかっただろうか。
それをなんだかカッコいい憧れの響きだから、ハンドメイドの世界で作り手を(レベルに関わらず)作家と呼ぶのが普通になったのでしょう。
関わる人間が少ない世界ならば、多少おかしくても許された(誰も気にしない)かもしれないけど、ここ何年かで急激に拡大してメディアにも露出してくると、ハンドメイドの作り手が猫も杓子も『作家』と名乗ったり呼ばれたりすることに嘲笑してしまう人も少なくないのでは? ハンドメイドとは全く関係ない人間が『ハンドメイド作家』と聞いたらどんなイメージを持つんだろう?
流行りものには新たに独自の呼び名が出来たりして、その呼び名とともに巷に浸透していくパターンがあるけれど、『ハンドメイド作家』は違和感を覚える人が多いにも関わらず、他にぴったりくる言葉が生まれる前に広まってしまったのだろう。
私もこのブログを書く上で自分を『作家』と書いているし、殆どの人がそうだと思う。でも、本当は違和感を持っています。もし人に自分がやっていることを説明するとして「私は作家です。」とはさすがに言わないと思う。ハンドメイドの話を書く上でいちいち他の言い方するのが面倒だし、他にいい言い方もないですしね。『作品』という言い方も同じ感じです。
こうなってくると面白くないのは本物の作家さん達だ。
私がもし本物の作家と言っても恥ずかしくない活動をしていたら、こんなブームによって増殖したなんちゃって作家(私もそうだ)がおかしくてたまらないだろう。
苦笑しながら眺めてれば済むくらいならまだいいけれど、同列にされたらたまったもんじゃない! ときっと思います。
これだけブームになった昨今の手作り品のC to Cビジネス。
『ハンドメイド作品』と一括りにされいてますが、 作品の質も作り手のレベルも、ピンからキリまででもう何が何やらですね。
その最たるものがネットの販売サイトではないでしょうか?
何百万という膨大な数の『作品』たちがひとっ所に売られているのだから、そりゃなんでもアリなカオスになって当然でしょう。
『ハンドメイド』も『作家』も表すものの定義が広すぎる!
C to C なのだからお互いが納得して取引できれば問題ないのかもしれない。
買う人にとっては満足するものが手に入れば関係ないのかもしれない。
そして・・・
こうまで混沌としてくると販売サイトだけに限らず、ハンドメイド販売をしている者同士が自分たちを何とか分類しようとする。
いや、元々は質の違う者だったのに、一緒くたになってしまったのだ。
本当は違う山が幾つもあるはずなのに、一つの山の裾野がとてつもなく広大になってしまったかのようだ。
作品を作る技量なのか、金儲けの素質なのか、何を基準に構成されているのかも良く分からなくなってしまったヒエラルキーの上部の作家たちが下の者たちを蔑むようになる。気にも留めていない涼しい顔をしていても内心では一緒にしてくれるなと思っている。ちゃんちゃらおかしいのだ。
底辺の者は販売なんてどうでもいいという顔をして、そこで何をしているかも分からない者もいる。
中間の者は身の程をわきまえつつも自分を上質に見せたくて必死だ。そして、やっぱり自分より下の者を心の中ではバカにする。
ほんとうは、違う山なのに。
こんなへんてこな山をいち早く降りた自称元作家や、てっ辺にいるつもりの勘違い売れっ子現役作家や、全く関係なく傍から眺めていただけのズル賢い輩が、中腹以下でもがく子羊ちゃんたちを「上手く登れる方法があるよ」とたぶらかす。どこを目指してるかも分かっていないのにそれに飛びつく子羊ちゃんたち。
それを見て心配したり気を揉む者たち。
金儲けが第一で、物作りを愛してもなさそうな者が子羊たちから巻き上げた金で潤うのを軽蔑の目で見る者たち。
被害者たちの恨み節まで聞こえる。
もう、ほんとカオスだ。
『ハンドメイド作家』たちの世界はこれからどうなってしまうのだろう。
それもこれも、 なんでもかんでも全部『ハンドメイド』だ『作家』だと一括りにするから携わる人間がイガミ合うんじゃないかしら?
もっと上手に棲み分けられる方法はないものだろうか・・・。
まあ、私もその へんてこ山の一部。
どの辺にいるのかよく分からなくなってきた。
ほんと、殺伐としてきて疲れてきたわ。