小休止 からの 第二段階
こんばんわ。ガーネットです。
ハンドメイド・ネット販売サイトでアクセサリーを売っています。
最近、ちよっとお疲れぎみです。
身体的にというより、精神的に。
疲れた
狭い世界の中で躍起になって、勝手に競争意識持って、成果ばかりを求めてる自分。
『仕事として認められるくらい稼ぎたい。』
そう決めたのだから面白くないことや、多少不本意なこともやってのける。それだけ厳しいのだ。
今もそれは正しいと思う。
・・・だけど近ごろ
つまらない。楽しくない。ワクワクしない。
ものをつくるのが大好きなのに、苦痛で仕方ない時がある。
つくることが苦痛というより、売るために躍起になることに疲れたように思う。
いつからこんなにギスギスしてしまったんだろうか・・・。
そうだ、他人と比べるようになってからだ。
そうだ、腹が立ったんだ。悔しかったんだ。
それまで売れてたモノが、後から出て来た同じモノに押され売れなくなってからだ。たった一つの作品のことなんてほっとけばいいのに、負けず嫌いな私は我慢できなかったんだ。
キレイ写真なだけで何度も特集に取り上げられるそのモノを見る度に悔しかったんだ。
自分なりに努力して安く出してたモノと同じモノが、写真がキレイなだけで高いのに売れる。
そんな世界なのは十分過ぎるほど分かっていた。でも複雑だったんだ。
自分も負けじとキレイな写真を撮ることに何よりの重点を置くようになる。
なんなんだ? 私は写真家か?
そっちに時間も体力も気力も取られて、肝心の『いい作品作り』がおろそかになる。こんなはずじゃない。なんか違う。
いや、ほんとうは違わない。
自分でそうしたのだ。売れそうなモノを追求したのは私自身だ。
結果生まれた作品の一つがちょっと売れなくなったから何だというのだ。
私だって知らない誰かに同じこと思われているかもしれないっていうのに。
それなのに私は、その人の動向が気になってチェック入れてはムカついて、私の方がまだたくさん売れてるとかなんだとか、一喜一憂する。
きっと、向こうも私を知っているに違いない。別の作品の特徴的仕様までいつの間にか同じだ。説明文までも同じだ。真似されたのか?違うのか?そんなことに気持ちを掻き乱される。だけどそれがどうした。やりたきゃやればいい。それだけ優れた作りだと思われたのだから、のし付けてくれてやれ。
こんなの全て時間のムダだ。ばかばかしい。どうでもいい。
だから、もうやめよう。
そんな誰が作っても大差のないモノで一喜一憂するのは。
当初の目標はもう果たせたはずだ。ちゃんと売れるようになった。見てくれる人も増えた。売れて行くモノの半分は自分らしい作品だ。
これから、もっとそっち側の作品を納得行くまで追及したい。
いいものが出来たときのワクワク感、つくる楽しさを取り戻したい。
次の段階に進むのだ。
しかし、なんだろう。この作家をとことん消耗させるネット販売ってやつは。
この場がなくては、買い手に出会えないのは分かっている。
だが、全て自分でやるのが辛くなってきた。
私は、何でこんなに必死になっているのだろう・・・
稼ぎたかったからだ。
いや、本当はそんな単純ではないはずだ。
それまで自分が楽しむためだけにつくっていたモノたちを求めてくれる人がいる。生み出しても行き場のなかったモノたちが、望まれて他者の手に渡り使ってもらえる。
それが嬉しかったのだ。
そして、『ムダなモノをつくっている』と私をバカにしていただろう周りの人間に証明したかったのだ。
価値を認め、喜んでくれる人がいるのだと。
そのためには売れないのでは話にならない。認められるどころか『やはりムダなモノではないか』と言われてしまう。
だから、必死になったのだ。
説得力として実績が欲しかったのだ。
私自身が心躍らせながら作ったモノを他の誰かも素敵だと思ってくれる。そんな人の元に届けたい。そして喜んで貰えたら最高だ。
これが私の物作りのスタンスだ。一番大事な思いだ。
だが、同時に自分も周りに認められたいという、ささやかな顕示欲も満たしたいのだ。
だから、『稼ぐ』ことにも貪欲になったのだ。
どうだろう、本当に喜んで貰えているだろうか?
どうだろう、周りは私を少しは認めてくれたのだろうか?
売ることに必死になることが正直しんどい。
売り込む行為が重要な世界が正直しんどい。
美しい写真を撮ることに必死になるのが正直しんどい。
それを言ったら、ネット販売を否定することになるのだろう。
だが・・・
作品だけ作っていたい。
これが、本音。
ちょっと、文学風にかいてみました。
かなり、すり減ってきました~。
“いまさら” な奮闘は、まだまだつづきます・・・ (・ω・)ノ